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2009/04/04

東京のおばが亡くなりました

もう1週間も前の話になりますが・・・

3月の連休の1週間前、東京の伯母の具合が悪いと連絡がありました。連休に地元の親戚の法事で来ることになっていたので来れないのかぁ・・・くらいに思っていました。
調べてもらったところ、病名は「白血病」でした。糖尿病も患っていたので最近インシュリン注射のあとがなかなかひかないなと本人も思っていたそうです。連休前にかーちゃんとおばちゃんと富山のおじさんが見舞いに行きました。余命5年と言われてしまい、本人は落ち込んでいたそうですが、おばちゃんは「5年も生きられれば上等だ!」と励ましてきたそうです。(その励まし方もどうかと・・・)
そして連休、法事も滞りなく済み、私も大阪旅行から帰ってきて一段落した頃、そろそろ抗がん剤を開始すると月曜日に連絡があったのに、次の日の火曜日、容体が急変したと連絡がありました。でもすぐにどうというわけではないのでというので、まずおばちゃんと富山のおじさんが見に行って、私とかーちゃんが週明けにおばちゃんを迎えがてらいってこようかと話していました。年度末だし、有休もいっぱい余ってるしーなんて言いながら。しかし水曜日にやはり重篤と連絡があり、かーちゃんもおばちゃんと富山のおじさんと一緒に行くことになりました。
行ってすぐは話もできたそうですが、心不全から肺に水がたまり苦しそうにしていたそうです。はじめは一晩泊って帰ってくるつもりでしたが、金曜日の朝に今晩も帰れないと、今度はおしっこが出ないと(腎不全と思います)夕方には苦しがるのでモルヒネを打ったと連絡がありました。
そして、土曜日の朝方亡くなりました。

葬儀屋が9時過ぎないと連絡できないということで、それから私も自宅待機。とーちゃんは咳が止まらないので今のうちに医者に行ってくると出かけました。お昼近くになり月曜日通夜・火曜日葬式と連絡が入りました。そこで私に指令が下りました。実家のお寺さん、しかも大旦那を呼ぶと、電話したけど耳が遠いから通じてないんで行って話してきてくれと。そうしたらお寺さんから電話が入り(そのときお寺さんの中では東京のおばちゃんじゃなく千葉のおじちゃんが死んだことになっていた!・・・強く否定しました)午後からお伺いすることを伝えました。(それだけは伝わった)
それと、うちのとーちゃん、近所のおじさん、富山のおばさん、直江津のにーちゃん、そしてお寺さんの切符を取ること。これは楽勝。とーちゃんと近所のおじさんは同じ駅から乗せるからいいとして、富山のおばさんと直江津のにーちゃんには「東京までの乗車券だけ買ってくれ」と伝えると富山からは糸魚川までは自由席に乗るわとOKが来たのに直江津からは乗車券も買えないと、入場券で入るから一緒に買ってくれと言われてしましました・・・手持ちの金が少ないからそのくらいそっちで買ってくれと言っても聞き入れてくれません・・・そんなだから・・・(自粛)とーちゃんはジパング割引(乗車券だけ割り引きかと思ったら、ここで特急券も割引になることを知った)、おじさんとお寺さんは通常料金、富山と直江津は各々の出発地から・・・と見事ばらばらの料金・・・集金袋を作って各々の料金を書き込み、とうちゃんに徴収してくるよう申しつけました。
午後になってお寺に行くと住職が対応してくれた。現地から大旦那のリクエストですと言うと「無理ー!」のお答。村では元気に自転車で畑に向かっていても91歳になって東京までの長旅は無理だし式でも座ってられないそうだ。とーちゃんたちがついていても何かあったら悪いし、そう言われてみれば無理だろうなと納得し、現地に「無理だってよ」の連絡を入れ住職に来ていただく段取りをつける。月曜日は午前中に用事があるので午後から行きますと、池袋に定宿があるので宿泊はご心配なく・・・とちょっと安心。式場の場所や時間は後ほどFAXすることにしていったん家に戻る。
お寺さんが現地に詳しいことを知っていたのでついていこうと思っていたとーちゃんでしたが、お寺さんが一緒に行かず、一番若い直江津も乗車券も買えないくらい当てにならないということで、今回の添乗員決定。ちょっとプレッシャーになり咳もひどくぶりかえしていました。(笑)湯沢で3枚入れて2枚出て、東京で2枚入れて1枚出て、池袋で1枚入れてなくなる・・・と教え込んだがとうちゃんだけ把握して他の皆に伝えておらずパニックになった人もいたそうで(それも直江津らしい)・・・まぁ無事着いたからよかったよかった。
お寺さんの分の切符をキャンセルしに行って帰ってきてから現地から「仏さまの掛け軸、式場に借りられるそうだけど、いるかいらないかお寺さんに聞いてくれ」と連絡が入りました。いらないわけないだろーと思いながら一人移動で持っていかれるのは大変だろうと思い、お寺さんには「借りられるそうですが掛けておきましょうか?」と聞いてみたらOKが出ました。あとで聞いたらその掛け軸、いつも私たちが見る後光がさした仏さんではなく、南無阿弥陀仏としか書いてない小さいもので、しかも東京にはなくて長野から取り寄せたとか・・・だったら持っていってもらったほうがよかったのに・・・。その電話でお寺さんにそのお宅には仏壇あるのかと言われました。なければ49日まで小さい仏さん貸してくれるって言われて、そう言われてみればないと思うけど(10年くらい東京の家に行ってないんでわかんない)現地に連絡。やっぱりなくて仏さんを借りることに。そーなると、仏さんだけでは格好つかないのでとりあえずウチにある使ってない仏具を集めてみました。ろうそく立て、ごはん入れ、焼香の灰入れ、以前使っていたお鈴はあるが、お鈴の座布団と鈴棒がありませんでした。あるものはとーちゃんが咳しながらサンドペーパーで磨いてぴかぴかにしてました。(このあたりで電話でとーちゃんと話していても咳ひどすぎて何言ってるかわかんないとか、とーちゃんひどくてダメならお前が来いとか言われてた。仕事もあるから無理だと断ったが、用事を足すために土曜日曜だけでも休みでよかったと思った)
日曜日、香典袋を買いがてらお香入れ、お鈴の座布団、鈴棒と、台の上に敷く白い布を買う。引退していたお鈴は小さかったが、でかい座布団しかありませんでした。おばちゃんだし女らしいオレンジの座布団と棒にもオレンジの布が巻いてあってコーディネートして買ったけど、家に帰ってきてセットしてみたら、あまりにお鈴が小さくて・・・んで現役のお鈴が小さい座布団の上に頭でっかちに置いてあったのでトレードしました。あぁせっかく棒とコーディネイトしたのに。白い布は端ミシンをかけて道具と一緒にしておきました。
午後になって現地から「お香と線香とロウソクも持ってこい」と連絡。ちょっとは必要かと用意はしていたが、現地ではどこで売っているかわからないから49日までの分持ってきてくれと。どんだけ使うんだー!わからん。こっちならコンビニにも線香とろうそくくらいは売ってるもんだが都会ってどーよ?とーちゃんから行くなら線香立ても買ってきてやれと言われ再度仏具屋へ。とりあえず線香は大箱一箱購入。1日に2度も来るヤツは珍しかったのか、どうかされたんですか?と言われ、仏壇のない家で初めての葬式で、なんとか格好つけてやりたいんですよと言うとなるほどと言われました。

夕方、とーちゃんの荷物に仏具を入れて、飯を作り、とーちゃんと弟に食わせ、いとこと(本当はかーちゃんと行くつもりだったが余ったので一緒に行ってもらった)小椋圭のトークライブにに行き(よかったわーうっとり)、寝て、起きて、とーちゃんとおじさんを電車に乗せ、これで私の仕事は終了。
かーちゃんとおばちゃんが東京に行ってる間、雪が降ったり寒い日が続いていたので、電話するたびに「とーちゃんに着るもの持って行ってもらおうか?」と言っていたのに「いーよー」と断られ、火曜日の夜に駅まで迎えに行ったら、ちゃっかり二人とも形見分けのダウンコートを着ていましたとさ。(笑)

なんだか、ずーっとばたばたしててさ、一度も手を合わせてないと今気がついた。ごめんね、のぶちゃん。(東京のおばのことです)こんだけ現地から田舎へ遠隔操作されて働いていたんで許してね。
10年以上前に子宮ガンで入院し、糖尿病でインシュリンまで打ち、その影響か軽い脳こうそくになったりして、病気のオンパレードだったのぶちゃん。気をつけていたのに急性骨髄性白血病。今度もまた大丈夫だよと思っていたのに、糖尿病だったこともあるのか5年どころか2週間とあっというまのことでした。最後苦しい目にあってかわいそうだった。安らかに、ばーちゃんとじーちゃんのところに行ってください。

白血病・・・糖尿病・・・こわいね。弟と二人きりの時にそっと次当たったら行くつもりと言いました。(なんのこっちゃ)

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